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カナダの中高年たちが懐かしむ《1967年 モントリオール万博》は、大阪万博のデジャ・ブなのか?

今カナダで、特にケベック州民の50歳前後の世代で、懐かしがられている"国家イベント"が…1967年、モントリオール万博です。その光景、どこかニッポンの……。


まずは2本の記録動画を ご覧あれ♪



会期中初期における、"公式お誘い"プロモ映像
ナレーションの一切ない、テンポよくカットを割る、COOL&スタイリッシュな映像です。

余談ですが、こういう"作風"を国家イベント記録の制作に持ちこんだのは、やはり《東京オリンピック》(1965年公開,市川昆監督)の功績が大きいでしょうか。

参考: https://www.youtube.com/watch?v=BAOGnxzCqUo (同映画の抜粋)





英国TV局 取材による"観覧ガイド"番組
番組タイトルは《Expo '67 - First Impressions》。
当然ながら?まずは『ブリテン館』の紹介から始めています。
 



イントロダクション ~ なぜ今、カナダで「1967年」?


"あのころ"が、新生カナダのスタート地点
と考える人たちが多いのですね。

大阪万博は、高度成長期の懐かしさとともに思い出される人が多い。あれ以降、赤軍テロとか石油ショックとか、豊かさの反動がいっきに出たせいもあり、"一方で安保にも揺れたけど、それでも大阪万博までが活気にあふれ、いい「戦後昭和」だった"と振り返る昭和人は少なくないハズ。


一方のカナダは、高度成長…なんてもんじゃない?
いやもう、二つの大戦後はずーっと※右肩上がりだったのですね。※ここ最近の世界不況は除く。

もともと、国土の広さに比して国民が少なかった。となりのアメリカほど栄えたくば(そして属国に伏したくなくば)、ともかく活きのいい移民を獲得し吸収しよう、という意欲が先に立ち……1960-79年の20年間は、もっとも人口増加率が高かったワケです。

旧フランス領から労働機会を求めてくる黒人、ベトナムから逃れてくるアジア系難民……

向こうから"押しかけてくる中国人"ラッシュはこの時代、まだ起きていません。南方の貧しい人たちに来てもらえば、"与える職、教える価値観はいくらでも"ありました。


この人口急膨張を立証するかのよーに
したがって、この時代に生れた世代が、2015年現在のカナダでは"最多比率層"、カナダ版"団塊の世代"なのですね。

しかも、カナダでは旧"宗主国"英国からの最終的な独立が体裁を成し(後述)、フランス語圏が善い意味でも悪い意味でも「カナダの独自色、アメリカをも超える複数文化が共栄する自由国家」を具現化。

モントリオールの世界発信を謗る者、礼賛する者、今日まで続くケベック分離問題の"最初の口火"が、この頃にパッと燃え盛りました。


日本における、東京オリンピックから大阪万博の時代が安保闘争のそれに重なるのと同じく、モントリオール万博から同五輪の時代は、カナダがケベック分離独立運動に揺れた時代に他ならない…

それゆえ、いつになってもカナダ人(中国移民ラッシュ以前から居るカナダ人)の心には、ここが、"カナダという国家の、理想のカタチを問うスタートだった"という想いを裏に、モントリオール博を振り返ってしまうのかも?しれません。


解説 モントリオール万博の"目玉"たち


ダイナミックな景観の中に配された"3区域から成る"会場
サンテレーヌ島(Ile Sainte-HeLene)とノートルダム島(Ile Notre-Dame)…と、地名には"島"の呼称が付く広大な中州と、近接する港湾の埋め立て地。

3会場に分散レイアウトしての、"水辺のある"景観の中での開催となりました。


アメリカ館は、巨大で半透明な球体ドーム。
幾多の構造物のなかで、スケールもカタチも一番"ぶっ飛んで"映っていたのは、文句なくこの、"巨大な鉄骨の まり細工"のようなアメリカ館──。
 
20世紀の建築思想家バックミンスター・フラー創案による《ジオデジック・ドーム》で、半透明樹脂の"窓(壁?)"を介して、内部の構造が透けて見えました。

残念ながら、会期後しばらく経ったのち、全面的な補修工事中に不審火から全焼。後世に遺すつもりが裏目に出て、取り壊しになってしまいました。


対するソ連館は、"宙に浮く?大屋根"の神殿。
中の様子が"透けて"見えるという趣向は、奇しくもアメリカ館と かぶっています。

ソ連館はセントローレンス館を挟んでアメリカ館の対岸につくられ、お互いが相手国パピリオンを眺望する位置に建っていました。


米ソの“宇宙開発”アピール合戦は、この万博から…。
(翌年 月着陸を成し遂げる)アメリカは、月着陸船のモックアップを主展示品に据えたものの、ソ連の目を気にしてか、かなり"あいまいな形状"にボカし、着色すらせずに見せています。(たとえば実際の着陸船には、下部構造に"最先端"素材ポリイミドの金膜が貼られました)

ご存じの通り、これが3年後の大阪では、正確な着陸船のレプリカと"月の石"に化ける!のですねえ。


各館とも、レトロフューチャーなデザインや流体フォルムの流麗さを競う
オーストラリア館内部を、美脚のコンパニオンさんたちと。

まだ60年代、ミニスカブームが頂点で、どの館のおねーさんもスカ丈が短いっ!ですね^^

映画《2001年宇宙の旅》が撮影されたのも、この頃。作中の"未来"と空気感が似てませんか?

ちなみに、この館を設計した建築家は大阪万博のオーストラリア館(画像=コンセプトスケッチ:下)をデザインした人と同じです。


“フランス人の万博”の遺伝子か? “恒久的な”建築物の設計施行技術も誇示していた
開催州となったケベック州は、北米"フランス文化圏"の中心。第1回パリ博の展示館としてエッフェル塔が建てられたのは有名な逸話ですが、モントリオールでも、"永久展示"建造物が建てられました。

ヨーロッパからの観覧客を泊まらせようと建てたのが、《マリオット・シャトー・シャンプレン》。各室に円形の窓が付く斬新なデザインで、完成当時はモントリオール一の高さを誇るランドマーク・タワーでした。

もちろん、高層ビル街に埋もれた今も営業中。


持続可能な博覧会…という意味では、大阪万博より"はるかに"優秀である
ホテルだけではありません(と言うか、開催期間は来賓客向けの宿泊コテージに供されましたが)、実験的な集合住宅として建造された、画像←の《アビタ67団地》も、この博覧会の"展示品"。

今も住人が住み続け、対外的には"観光スポットのひとつ"で あり続けています。


解説 モントリオール万博の背景(時代の姿)


新国旗に象徴される "独立カナダ"のお披露目と愛国マインド発揚の場であった
モントリオール万博の計画は、英国の"植民地"色を廃した国旗の新図案制定(1964年)と、時期を同じくして進められています。

あらたな国の方向性を人類社会の方向性とも重ね、カナダ国民の"新たなる"決意として「世界にコミットしたい」

万博の開催テーマ『人類とその世界』は多分に、『カナダ人とその国家』という身近な命題に裏打ちされていたのです。


"怒れるケベック州民"を鎮め讃える、"ガス抜き"の祭典でもあった
国家的な大イベントを、あえて"少数派"のフランス語圏で行う…「多くの価値観、文化を認め合う"大らかな"理想連邦」ですよ♪という、カナダの国際アピール。宣伝には持って来いだ、という目論みも無かったワケではありますまい。

批判もありながら中国系移民の急膨張に持ち応えたコトは、「これで中国語圏も独立を言い出すぞ」と怯えるのか、「これでフランス系だけが異質じゃなくなり、もう特別扱いは主張できまい」と安堵するのか。

黒人差別問題に今なお解決を見いだせない某国同様、カナダもいっそう"多民族共存の真偽"を問われる身になっています。


関連リンク


アビタ67団地 (日本語版ウィキペディア)
Wikipediaによる記述


ブロックを無秩序に積み上げたような「アビタ67団地」にワクワクする!
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